英彦山の山の神 ― 2010年11月06日 21時38分36秒
英彦山(ひこさん 1199.6m)
英彦山は、福岡県では、釈迦ヶ岳についで県内第二標高を持つ山だ。日本二百名山の一つに挙げられており、わが国有数の修験道の場としてもよく知られている。
今日は、紅葉を観に出かけた。今回で3回目の英彦山であるが、前二回と全く同じ、別所から豊前坊に回り、望雲台を覗き、北岳、中岳、南岳から鬼杉、玉屋神社、奉幣殿を経て別所に戻る周遊コース。
別所の駐車場に着いたのは朝八時過ぎだが、駐車場はもう車で満杯の状態だった。さすがに紅葉のシーズンだ。
駐車場から、九州自然歩道に入るのだが、いつものように今回もちょっと迷った。どうも取りつきがはっきししない。方向が解っていたので、前回ほどうろうろしなくて済んだが、自然歩道の入口にははっきりした表示が欲しいものだ。
英彦山は、福岡県では、釈迦ヶ岳についで県内第二標高を持つ山だ。日本二百名山の一つに挙げられており、わが国有数の修験道の場としてもよく知られている。
今日は、紅葉を観に出かけた。今回で3回目の英彦山であるが、前二回と全く同じ、別所から豊前坊に回り、望雲台を覗き、北岳、中岳、南岳から鬼杉、玉屋神社、奉幣殿を経て別所に戻る周遊コース。
別所の駐車場に着いたのは朝八時過ぎだが、駐車場はもう車で満杯の状態だった。さすがに紅葉のシーズンだ。
駐車場から、九州自然歩道に入るのだが、いつものように今回もちょっと迷った。どうも取りつきがはっきししない。方向が解っていたので、前回ほどうろうろしなくて済んだが、自然歩道の入口にははっきりした表示が欲しいものだ。
自然歩道を緩やかに登っていき、お地蔵様のある地蔵坂を過ぎると、英彦山スキー場の横を通る。今は、ススキの見事な草原となっている。
さらに過ぎると英彦山青年の家の横を通る。やがて車道と交わると、豊前坊、高住神社はすぐだ。神社の右手奥に北岳への登山道がある。
奇岩が聳える険しい山道は、変化に富み楽しい。すぐに望雲台への分岐に着く。左に少し歩きと、崖につきあたり、崖の割れ目に鎖が垂らしてある。ほぼ垂直であるが、足場はきちんとつくられており、注意して登ればそれほどの危険はない。が、まあ、カニノタテバイよりは怖いと思う。
崖を登りきると絶壁を右にトラバース。鎖が張ってあり、足場もきちんとあるが、左下は千尋の谷のようだ。怖い怖い。
トラバースした先は、また壁に突き当たり、ここにも真中に鎖が垂らしてある。やはりここもほぼ垂直だ。登りきると、ステンレスの頑丈な手すりが崖の上に渡されており、その先は勿論絶壁だ。下を覗くと足がすくむようだ。手すりにしっかりと腕を絡ませて、写真をとる。真正面は鷹の巣山だと思う。
紅葉で綺麗に染まっている。大展望だが、恐ろしくて長居はしたくない。慎重に下まで降りる。
分岐からは、急な登りが続くが、北岳までは、それほどの疲れは出さないで登れる。
北岳の山頂部分は、神仏習合時代からの神域(説明板あり)ということで、そうならば、平安時代くらいからであろうか、人が足を踏み入れてないといいうことになるが。
ここらへんからは、ちらほらと紅葉が目に着くようになり、中岳への縦走路から見る中岳は、まあ、なかなかのものでした。
三角点のあるのは次の南岳ということであるが、中岳の山頂には、英彦山神宮の上宮があり、ここが英彦山の山頂ということになっている。
持参した鍋焼きうどんの昼食とする。
上宮の正面から右に石段を下れば奉幣殿へ、南岳へは直進して下る。中岳から南岳までは、あっという間である。
南岳の山頂には、小さな鳥居と祠と三角点、それに展望台がある。
南岳から鬼杉への下りは、岩場には鎖が懸り、かなり険しい下りだ。
驚くことに、そこを自転車を担いで下る人がいた。どこから登ってきたのだろうか。
鬼が住みかを作るときに置いたと言われる材木石の脇を通り、ずんずんと高度を下げると、道がやや荒れている。
近頃の大雨のせいであろうか。ものすご杉の大木が倒れていたりする。
が、鬼杉は、健在であった。やはりどことなく迫力があり、樹齢1200年の貫禄がある。
鬼杉の左側を回りこんで登って行くのが、玉屋神社への道である。南岳からの下山道なのに、なんだか登りばかりのような道だ。何度も尾根を越え疲れ果てて階段を登りきると玉屋神社に着く。
崖の中に半分埋もれているかのように建てられいる。神社の右隅にある神水(岩から染み出ている)が美味い。
写真を撮って下山しようとしていたら、前を行く女性が違う方向へ登っていく。どこへ行くのですかと尋ねたら、山の神に会いに行くといいう。興味を覚えたので、ついていくと、下山道(といってもかなりの急な登り道)の左手の斜面を登っていく。崖の上に出ると、おわしました。山の神が。韓国の李舜臣像に似た神様が、すくっと立っておられました。崖の斜面には鎖が垂らされており、山伏たちが修行で崖を登り、山の神に出会うのだとか。
しかし、崖の下からは見えないので、足元に気を着けながら登ったところに怖い顔をした山の神が立っていると、肝を冷やすのではないか。転げ落ちる山伏もいたかもしれない。
まあ、今まで、知らなかった山の神を拝めたことは、本日の大収穫であった。
本道に戻り、やはり登り気味の下山道にうんざりしかけたころやっと奉幣殿に到着。
さすがに人出が多い。
長い石段を下ったところにお土産店があり、そこを右に曲がって、舗装道をしばらく歩けば、車を停めた別所の駐車場に戻りついた。
今回も英彦山温泉「しゃくなげ荘」で汗を流し(600円)帰路についた。
(8:23)別所駐車場発、 (9:29)豊前坊、 (9:47)望雲台登り口、 (9:57)望雲台、
(10:06)望雲台分岐に戻る、 (10:40)北岳山頂、 (11:00)中岳山頂、昼食、
(11:34)南岳へ、 (11:40)南岳山頂、 (12:25)鬼杉、 (13:00)玉屋神社、
(13:45)奉幣殿、 (13:51)土産物屋前(別所への分岐)、 (14:00)別所の駐車場に戻る。
九州百名山 ― 2010年11月07日 21時33分51秒
深田さんの「日本百名山」は、山登りを趣味とする人にとって、バイブルみたいなものかもしれない。異論はあるかもしれないが、これはあくまでも深田さん個人が選定したものだ。だからこそ変わることのない「深田百名山」として全国の登山者から愛されているのだろう。
百名山ブームにあやかって、ローカルな百名山が選定され、その紹介本が出版されていて、多くの登山者のガイドブックとなっている。
もちろん九州でも例外ではなく、山と渓谷社から「九州百名山」が出されている。今出ているのは、2002年8月に初版出版された「新版 九州百名山」であるが、九州の登山者のほとんどが、一度は手に取るか、大半の人が購入して山行の参考にしているのではないか。私もそうである。
この「新版」は、1992年初版の「九州百名山」を改訂したもので、改訂にあたっては、4分の1近くの山の入れ替えがあっている。
九州百名山の踏破をはげみとして山登りを続けている人もたくさんいて、入れ替えがあった時は、がっかりしたり戸惑ったりした人も多かったはずである。動かざること山の如しというが、悠久の歴史の中で泰然として動かないものが山である。そんな山の評価が、しかも、権威のある「山と渓谷社」が出版しているガイドブックが、そう簡単に評価を変えていいのか。
新版が出された時、いい加減な百名山選びだったんだなと、僕はそう思ってがっかりした。
ところがである。昨日英彦山に登った時、驚くようなことを耳にした。ちょうど英彦山中岳の山頂で昼食をとっている時、隣のベンチで昼食をとっていたグループの一人が、こんなことを言われているのが耳に入ったのだ。
「先日、五十嵐さん(九州百名山選定者の一人)とお会いした時、今また百名山の選定をし直していて、近々新しい「九州百名山」を出す予定だが、また20~30座くらい入れ替わるんだみたいなことを言ってたよ。」
その人も、「そんなに頻繁に入れ替えるのはよくないな。」と批判的におっしゃっていたのだが、本当にそのとおりだと思います。
もしも、そのことが本当だったら、九州の山の先達たちが、検討に検討を重ねて選んだ「新版」の山が、10年もたたないうちにまた数十山入れ替わるなんて、全く読者をバカにしているとしか思えません。
悪意にとるなら、金儲けのための「百名山」としか思えない。今の本は、もうだいたい出つくしたから、山を少し入れ替えたら、また登山愛好者が買うだろう。いい頃だよと。そんなふうに思ってしまうのです。
そして哀しいことに、そんな本でも、私は、出たらきっと購入するだろう。
百名山ブームにあやかって、ローカルな百名山が選定され、その紹介本が出版されていて、多くの登山者のガイドブックとなっている。
もちろん九州でも例外ではなく、山と渓谷社から「九州百名山」が出されている。今出ているのは、2002年8月に初版出版された「新版 九州百名山」であるが、九州の登山者のほとんどが、一度は手に取るか、大半の人が購入して山行の参考にしているのではないか。私もそうである。
この「新版」は、1992年初版の「九州百名山」を改訂したもので、改訂にあたっては、4分の1近くの山の入れ替えがあっている。
九州百名山の踏破をはげみとして山登りを続けている人もたくさんいて、入れ替えがあった時は、がっかりしたり戸惑ったりした人も多かったはずである。動かざること山の如しというが、悠久の歴史の中で泰然として動かないものが山である。そんな山の評価が、しかも、権威のある「山と渓谷社」が出版しているガイドブックが、そう簡単に評価を変えていいのか。
新版が出された時、いい加減な百名山選びだったんだなと、僕はそう思ってがっかりした。
ところがである。昨日英彦山に登った時、驚くようなことを耳にした。ちょうど英彦山中岳の山頂で昼食をとっている時、隣のベンチで昼食をとっていたグループの一人が、こんなことを言われているのが耳に入ったのだ。
「先日、五十嵐さん(九州百名山選定者の一人)とお会いした時、今また百名山の選定をし直していて、近々新しい「九州百名山」を出す予定だが、また20~30座くらい入れ替わるんだみたいなことを言ってたよ。」
その人も、「そんなに頻繁に入れ替えるのはよくないな。」と批判的におっしゃっていたのだが、本当にそのとおりだと思います。
もしも、そのことが本当だったら、九州の山の先達たちが、検討に検討を重ねて選んだ「新版」の山が、10年もたたないうちにまた数十山入れ替わるなんて、全く読者をバカにしているとしか思えません。
悪意にとるなら、金儲けのための「百名山」としか思えない。今の本は、もうだいたい出つくしたから、山を少し入れ替えたら、また登山愛好者が買うだろう。いい頃だよと。そんなふうに思ってしまうのです。
そして哀しいことに、そんな本でも、私は、出たらきっと購入するだろう。
恋を知らないあなた ― 2010年11月09日 23時04分57秒
恋を知らないあなた(YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS)
CD ビリー・ホリデイ「レディ・イン・サティン」
先日、シューマンの「詩人の恋」について書いている時に思い出したこと。ある本に「恋を知らないあなた(YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS)」について書かれていたことが、面白くて覚えていた。
「この曲は、歌い手の年齢や歌い方によって、ずいぶん違った印象を与える。例えば、トニ・ハーパーみたいな可憐な歌声だと、ああよしよしと慰めたくなるが、ビリー・ホリデイのように女のさがを深く悲しく歌われると、近寄るのさえためらわれ、ただ茫然とその場に立ちすくむのみである。」(「名演Jazz Standards」(講談社1989年)の中での市川正二氏の解説)
確かにそんな曲だと思いますね。トニの歌のほうは、ネットで少しだけ試聴しただけですが、ビリーのはCDを持っていて、本当に、たまーに聴いています。
この「レディ・イン・サティン」というCDは、彼女の晩年の録音と言うことで、声もずいぶんとくたびれているけれど、彼女の歌に対する執念というか、歌心がストレートに出ているようで、心打たれます。
彼女個人としては、一番愛したCDというけれど、僕も、「奇妙な果実」よりもこちらが好きです。
伴奏のストリングスがとても美しいし、一人で静かに聴いているととても哀しくなる。いつもいつも聴けるようなCDではありません。
CD ビリー・ホリデイ「レディ・イン・サティン」
先日、シューマンの「詩人の恋」について書いている時に思い出したこと。ある本に「恋を知らないあなた(YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS)」について書かれていたことが、面白くて覚えていた。
「この曲は、歌い手の年齢や歌い方によって、ずいぶん違った印象を与える。例えば、トニ・ハーパーみたいな可憐な歌声だと、ああよしよしと慰めたくなるが、ビリー・ホリデイのように女のさがを深く悲しく歌われると、近寄るのさえためらわれ、ただ茫然とその場に立ちすくむのみである。」(「名演Jazz Standards」(講談社1989年)の中での市川正二氏の解説)
確かにそんな曲だと思いますね。トニの歌のほうは、ネットで少しだけ試聴しただけですが、ビリーのはCDを持っていて、本当に、たまーに聴いています。
この「レディ・イン・サティン」というCDは、彼女の晩年の録音と言うことで、声もずいぶんとくたびれているけれど、彼女の歌に対する執念というか、歌心がストレートに出ているようで、心打たれます。
彼女個人としては、一番愛したCDというけれど、僕も、「奇妙な果実」よりもこちらが好きです。
伴奏のストリングスがとても美しいし、一人で静かに聴いているととても哀しくなる。いつもいつも聴けるようなCDではありません。
万年山 ― 2010年11月13日 23時38分16秒
万年山(はねやま 1140.2m)
万年山と書いて「はねやま」とは、なかなか読めないでしょうね。大分県の日田市と九重の間、玖珠町にある溶岩台地の山です。九重のほうから見たらテーブルのようにべたっと横たわった姿は、よく目立つ。
万年山と書いて「はねやま」とは、なかなか読めないでしょうね。大分県の日田市と九重の間、玖珠町にある溶岩台地の山です。九重のほうから見たらテーブルのようにべたっと横たわった姿は、よく目立つ。
今日は、秋晴れを期待して(天気予報では晴れ)九重の紅葉を、特に九酔渓の紅葉を観に出かけたのだが、薄曇りのうえ、黄砂が大量に飛来していて、ドどんよりとした天気で、いまいちだった。紅葉もほとんど終わりごろで、ところどころしかいいところはなかった。それでも、日本一のつり橋付近から、渓谷にかけては、車がかなり混雑していて、車を停めて写真を撮る余裕がなかった。
帰りに、万年山に登った。 一応、九州百名山のひとつとなっているが、登山の山としては物足らないでしょう。子ども連れなどのハイキングの山としてはいいところだと思います。
案内表示に従い、車で舗装道路をのぼりつめると、通行止めの鎖が張ってあり、左横に牧場の古い建物があり、その横が広い駐車スペースとなっている。そこに車を停めて、通行止めの鎖のよこをすり抜けて登り始める。
ヒゴタイももう終わりかけのようだ。
ずっと舗装されている道が、緩やかに上っており、やがて牧草地の真中を突っ切る。
黄砂の雲海の中に浮かぶ由布岳が、幻想的です。
いったん少し下ったところに、トイレや休憩場所があり、その右先から、階段状の舗装路を登る。登りらしい登りは、ここの10分程度で、すぐに広い草原の山頂に着く。
どこが頂上かわからない広場だが、標識が建っているところがそうだろう。天気が良ければ360度の大展望だけど、あいにくの天気で残念。
(11:39)登山口、 (12:23)万年山山頂、 (12:39)下山、
(13:11)登山口に戻る。
(13:11)登山口に戻る。
帰りに汗流しを予定していた「美人の湯」付近は、紅葉は素晴らしかったけど、残念ながら温泉は休業(廃業?)していた。
国見山 ― 2010年11月28日 22時24分24秒
国見山(くにみやま 1018.1m)
27、28日は、朝日会の11月例会で熊本県の国見山に登った。
「国見」という名の山は、国見山とか国見岳とか全国に山ほどあるらしいが、もちろん九州にもたくさんある。今回の国見山は、山鹿市の熊本県と福岡県の県境付近にある山で、登りやすい山である。
岳間キャンプ場を過ぎて、さらに山奥まで車で入ることができる。国道3号線から案内標識がしっかりしているので、登山口まで迷うことはない。
27、28日は、朝日会の11月例会で熊本県の国見山に登った。
「国見」という名の山は、国見山とか国見岳とか全国に山ほどあるらしいが、もちろん九州にもたくさんある。今回の国見山は、山鹿市の熊本県と福岡県の県境付近にある山で、登りやすい山である。
岳間キャンプ場を過ぎて、さらに山奥まで車で入ることができる。国道3号線から案内標識がしっかりしているので、登山口まで迷うことはない。
植林帯をひたすら登るとやがて自然林の道となるが、なだらかで歩きやすい。
尾根に出て右にしばらくで左に三国山(みくにやま)との道を分ける。一人なら、片道1時間の往復ということだから三国山まで行くところだが、今回はひたすら国見山を目指す。分岐からは、登りがややきつくなり、山頂直下はロープが張ってある岩場となるが、まあ危険な個所はない。
狭い山頂は、朝日会のメンバー6人でいっぱいとなるくらいの狭い山頂である。本来展望はいいはずだが、木々が大きくなってきてやや展望を妨げている。
70過ぎ(ご本人の申告)の女性が一人三国山から縦走してきておられたが、とても70過ぎとは見えないすくっと姿勢のいい若々しい人でした。朝日会のメンバーも70過ぎても山登りを続けているか、さあどうだろうか。
下山は、往路を戻り、菊鹿町の「恵温泉」で汗を流して、矢谷渓谷の「マザーネイチャーきらり」のロッジに宿泊。あとは、お決まりの麻雀と宴会で楽しんだ。
今回で、朝日会は99回目。毎月1回、原則6人のメンバー全員で宿泊登山を楽しんでいる。始めて10年近くよく続いているものだと思う。それぞれが個性の強いメンバーだけども、何故かうまくいっている。
来月は百回記念で、海外とかいう声も出ていたが、まあ近県の軟弱な山に落ち着きそうだ。長く続ける秘訣かもしれない。
(10:26)登山口発、 (11:08)尾根、 (11:19)三国山分岐、
(11:30)国見山山頂、昼食、 (12:00)下山、
(12:54)登山口に戻る。
行きずりの街 ― 2010年11月30日 00時29分09秒
映画「行きずりの街」を観た。

原作は、小説「行きずりの街(志水 辰夫)新潮文庫」で、「1991年このミステリーがすごい!(92年版)」の1位にランクされている(ちなみに、2位は、「新宿鮫Ⅱ」)のだが、同じ年の週刊文春「傑作ミステリーベスト10」には、全くランクされていない不思議なベストセラーである。
田舎の予備校教師が、行方不明の教え子を探しに上京する。その子の行方不明には、 彼が元教師をしていた女子高が関係していることがわかってくる。
この小説は、ジャンルで言うと、ハードボイルドになるのだろうか。素人にしては、とてつもなく肝の据わった元教師が、並みの私立探偵顔負けの大活躍をするのだが、まあそれはともかく、とても面白く読める作品です。
2005年9月にはテレビドラマ化されているようで(水谷豊主演)、そちらも見たかったのだが、今度映画化されると聞いて楽しみにしていたものである。
小説を読んだのが丁度3年前の11月だから、もう仔細は忘れていたが、まあ原作通りに描かれた映画だと思う。
しかし、小説はとても面白かったという記憶があるが、映画は何故かつまんなかった。どこがどのようにつまんないか、よく説明できないが、配役が悪いのか、描き方が悪いのか、退屈な映画になっていた。期待外れだった。
それにしても、今回はホークスタウンの映画館まで足を延ばしたのだが、このようなメジャーな映画が、福岡県でも限られた映画館でしか上映されないのはさびしい。
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