大宰府政庁跡から四王寺山 ― 2023年04月01日 23時06分57秒
山歩きは、できれば土曜日にしたい。翌日曜日は、家でゆっくり音楽を聴いたり本を読んだりしたいからです。
ということで、天気もまあまあなので、今年最後の桜見に出かけた。
桜がもう散りかけている大宰府政庁跡の奥の駐車場に車を停めて、登山開始。駐車場のすぐ横には令和の年号出典に深く関係しているという坂本八幡宮がある。
近くの空き地には黄色い、光沢のある「キンポウゲ(金鳳花)」がたくさん咲いていて美しい。花の名前がわからなかったので、スマホのグーグルレンズで検索したら、最初「ミヤマキンポウゲ」とでた。ミヤマキンポウゲは高山植物なので、違うかなと思って、帰宅して調べたら、「ウマノアシガタ(別名キンポウゲ)」だろうということになった。
一方、桜はもう散り始めていて、木の下の道路が桜の花びらで舗装されていた。
このコースは4年前に登ったのだが、道をあまりよく覚えていない。坂本八幡宮の前の道をまっすぐに山のほうに登った記憶があるのだが、なんだか前回とは違う道のような気がしてきた。まあ、案内板とか指導標とかに従い登っていけば、道を迷うことはないコースだから、不安なくずんずん進む。
途中、岩屋城の道を右に分けるのだけれど、岩屋城には帰路に立ち寄る予定だ。往路は大石垣から増長天のほうに登ることとした。まあまあの上りをひと登りで登ると、大石垣に出て、ほどなく増長天礎石群のある四王寺山の周回路に出る。右に行けば礎石群から焼米ヶ原で、今回は左に毘沙門天を目指す。
大石垣
周回路にでた
周回路は、少しずつ上っているのだけど、けっこうきつい道を30分ほどで、毘沙門天下に着く。四王寺山の山頂大城山の山頂は、毘沙門天の左手、少し高くなったところにある。
山頂を踏み、毘沙門天にお参りし、いつものように野外音楽堂から、百閒石垣に下る。
野外音楽堂
百閒石垣
鮎返りの滝上あたりは、紅葉の美しい場所だが、今は桜と山吹と新緑がとても美しい。
一部崩落している小石垣
小石垣まで来たところ、なんと石垣の一部が崩壊しているようだ。近ごろ豪雨があったこともなくどうしたんだろうか。月曜日には県庁の文化財保護課に連絡しておこう。
小石垣からまっすぐ進み、僕が勝手に名付けた「隠し田」を突っ切り、主城原礎石群を右に分け、県民の森センターに下る。センターのこどもの国で、昼食休憩。
こどもの国から増長天礎石群に登る道には、もうコバノミツバツツジが咲いていた。
こどもの国から登るとすぐに、増長天礎石群に出る。礎石群の右手からすぐに左に下る水城への道があり、そこを下る。「馬責め」を経て下ると、舗装道路を横切り岩屋城への近道に出る。横木のある狭い道をひと登りで、岩屋城後に出る。
岩屋城後は、桜の名所であるが、今日はもうすべて散ってしまっていて、痕跡もなかった。ただし、ここからの展望は抜群である。
引き返して、まっすぐ下れば舗装道路に出て、すぐ右手を横切れば、岩屋城の主だった高橋紹運(たかはしじょううん)の墓所に出る。
高橋紹運は、岩屋城の城主で、島津が九州制覇を企てた際に、この岩屋城に籠り島津軍と壮絶に戦い、全員討ち死にはしたものの、島津軍の損消も激しく、結果として九州制覇を諦めざるを得なかったという。
なお、高橋紹運は、戦国時代の名将として有名で大河ドラマ化の要望が強い立花宗茂の実父とのこと。立花宗茂が大河ドラマ化されるときは、この岩屋城の戦いもエピソードとして描いてほしいですね。
墓所から左に下れば、大宰府政庁跡へと下る。この道は一度登ったことがあるのだが、まったく覚えていない。見当をつけて下って行ったのだが、なんだか知らないところに出た。
ピンクの花が咲き誇る木々がたくさんあってとても美しいところだが、近くにいた人に聴いたら「春の森」というところだそうで、近くには「秋の森」もあるという、整備された公園です。
公園を突っ切ってから道路に出て右に進めば、すぐに駐車場に着く。
4時間のこの程度の山歩きは、10年前だったら軽いハイキングだったのだが、今日はとても疲れた。
(11:35)坂本八幡宮前駐車所発、 (11:54)岩屋城分岐、 (12:14)大石垣、
(12:22)四王寺山周回路に出る、 (12:50)毘沙門天、大城山山頂、
(13:05)野外音楽場、 (13:16)百閒石垣、 (13:30)小石垣、
(14:00-21)県民の森センター、昼食、
(14:31)増長天礎石群、 (14:44)岩屋城跡、
(14:31)増長天礎石群、 (14:44)岩屋城跡、
(14:51)高橋紹運墓所、 (15:05)春の森、 (15:20)駐車場に戻る。
最近のコメント