アルビノーニ「アダージョ」2010年07月06日 23時07分22秒

MEDITATION
アルビノーニ 「アダージョ」
ヘルベルト・ケーゲル指揮 ドレスデン管弦楽団
 あまりにも有名な曲ですね。クラシックをあまり聴かない人でも、音楽好きの人ならたいてい一度は聴いたことがあるでしょう。曲名を知らなくても、聴けば「ああ、この曲か」となる綺麗なメロディの曲です。
 「アルビノーニの作ったト短調ソナタの断片」をジャゾットという人が編曲したものということになっていますが、一説には全くのジャゾットの作曲だということです。
 でも、アルビノーニのアダージョですよ。
 先日宮下誠さんの「カラヤンがクラシックを殺した」(光文社新書)を取り上げた時、カラヤン指揮のそれとの「違いに唖然としない聴き手は水垢離でもして出直すことを勧めたい。」、「こんな演奏で瞑想したら、悟るか自殺するかのどちらかしかないだろう。」との激評だったことを書いたが、その後何回も聴き比べました。
 カラヤンのは、ベストセラーになった「アダージョ・カラヤン」というアルバムに入っていますが、ケーゲルのはなかなか市場になくて、クラシックのいいとこだけを集めた10枚組のCD「MEDITATION」の第3巻に入っています。他のにも入っているのがあるかもしれないが、僕はこれしか入手できなかった。10枚で5,100円くらいだったから、まあそれほど高くはなかったし、他にも美しい曲がたくさん収録されていますから無駄ではないけれど。
 で、音楽ですが、確かに両者は違うのは違いますね。
 極端にいえば、カラヤンのはゆったりと美しいけど平板な感じがするのたいし、ケーゲルのは沈みがちで透明で全般的に哀しい感じがします。といっても曲そのものが、重たくて哀しい感じで葬儀にもよく使われるという曲なので、どちらを聴いてもそんな感じです。
 ケーゲルのが、聴き進むにつれ「自殺したくなる」ような感じは、大袈裟ですね。
 それに、ケーゲルのはチェンバロを使っているようなのですが、カラヤンのにはそれが聞こえません。楽譜ではどうなっているのでしょう。チェンバロの音が、かなりの暗さを演出しているように思いますが。クラシックの演奏では、楽器の編成を自由に変えられるのかな。
 まあ、僕なんかは、演奏の比較は、同じ条件で、同じ楽団で同じように録音されていないと、CD聴いただけではなんとも言えないなあというのが正直なところです。
 はい、今から「水垢離」でもしましょう。